「Dr.ポツーン」のあいまいな演技で喜びを

アラバスタの砂漠の医師、Dr.ポツーン。アラバスタ編の最後の最後に登場し、地味ながら重要な役割を果たして、砂の国の物語をきれいに締めくくった彼について、少しだけ見ていきたいと思います。

砂漠の中にぽつんと建っている診療所で、Dr.ポツーンは医師として働いているようです。何もそんなところを選ばなくても‥と思わないでもありませんが、わずかながら植物も育っていますから、小さなオアシスなのかもしれません。世間から孤立しているのは、人嫌いとまではいかなくても、人付き合いが苦手なためとも考えられますが、何らかの信念でその場所に居続けている可能性もあります。普段は病気の人を診るより、砂漠で遭難しかかった人を救う機会の方が多そうですから、そこに使命感を燃やしているのかもしれませんね。

わずか数コマの出番だった彼ですが、ある人物とのやり取りを演じることで、その相手をドラマティックに物語へ復活させています。もったいつけた言い方をするまでもなく「ある人物」とはペルに他ならないのですが、あのシーンで普通にペルの姿が描かれていたら、どうなったでしょうか。または、Dr.ポツーンが「ペルくん!」と名前を呼んでいたとしたら‥その姿を見た時、or名前を聞いた時、実はペルは生きていた!という事実に対する感動は得られるでしょうけど、それ以外の感情は起こりにくいと思われます。何から何まで丁寧に説明されるよりも、謎が残されある程度解釈を強いられる方が、読者はその謎に首を傾げ、ピースをつなげ、謎を解き明かすまでの一連の流れで、達成感に至るまでの様々な感情を味わうことができるんですよね。「ワンピース」の中では、ルフィ達の過去話の中でのドラゴンとサボのくだりでも、同じ手法が用いられているといえるでしょう。

Dr.ポツーンが再登場する可能性は極めて低いと思われますが、彼が砂漠で診療所を開いていなければ、そして爆風で飛ばされてきた(と思われる)ペルを発見していなければ、ペルも命を失っていたことでしょう。今後もペルが登場した時は、その都度恩人Dr.ポツーンのことも思い出したいと思います。

余談ですが、数日前に尾田先生へのインタビュー記事が掲載されていましたね。人が亡くなる場面を描きたくないのは、戦いの後に宴を描きたいから、とのことでした。確かに、ホールケーキアイランド編の締めにも派手な宴はありませんでしたね。ただ、アラバスタ編についていえば、宴のシーンの時点ではペルの生存はまだ確認されていませんから、例外といえるのかもしれません。パンクハザード編も状況は似ていますが、錦えもんが生きていた→他のシノクニの犠牲者も無事かも、となるわけで、心情的に開宴に対する抵抗感も起こりにくかったといえるでしょう。そのあたりは、アラバスタ編での宴への小さなもやもやをも、再び生まないようにと練られた構成なのかもしれませんね。

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